
以前の投稿でポール・クローデルの言葉を紹介しました。今回は、その「抹殺されたもの」の1つと思われる古事記が含む思想的ベースが、どのように一つの信仰のように私たちを縛っているのかを再確認したいと思っています。
古事記は「史実ではない」「科学的でない」という批判を受けていますが、そういうことは歴史研究でやって戴ければよく、歴史勉強は「日本人の『精神』はどう生まれて、これまでどう引き継がれてきたのか」なので、史実か否かは関係ありません。新約聖書では造物主(=ゴッド、以下「神」と書きます)が光あれと言うと光が生まれたことで大地や命が作られました。
前置きが長くなりました。キリスト教徒の違いをやや意識して説明します。