
台湾人に高く評価される日本人は何人がいらっしゃるのですが、今回は、いろいろな制度やインフラを仕掛け方の一人「後藤新平」を紹介させていただきます。
日本による統治は1895年から1945年まで続きましたが、医学博士である後藤新平は1898年に台湾総督である児玉源太郎によって台湾総督府民政局長(後に民政長官に改称)に任命されました。言い換えれば、後藤は台湾総督を除いて最も高い権力を持つ人物でした。彼は医学の知識を背景に持っており、「生物学の原則」を参考にして、台湾を性急に同化するのではなく、台湾の現状に合わせた施政を行うべきだと児玉源太郎にアドバイスしました。
「ヒラメの目をタイの目にすることはできない。」